kumdo.comの多くの嘘
lies in "kumdo.com"

いわゆる「kumdo」の歴史は意図的な
欺瞞と歪曲に満ちています。
日本が剣道の真の発祥国であるのに、
何人かの韓国人は、
母国が発祥地であると公言しています。
しかし日本人に面と向かって言うことはありません。
その代わり、東の国々の歴史には詳しい人がいない
西の国々でプロパガンダを行っています。
日本人として、
韓国人によってしばしば行われる
文化剽窃に反対します。


The "Original text" below is here.
http://www.kumdo.com/ushwarangkwan/index.php?module=htmlpages&func=display&pid=6

cache

AJKF's official view is here
http://www.kendo.or.jp/kendo/origin/

1 Original
text
「剣道(Kumdo)」の直訳は「剣の道」である。

1 Fact kumdo は「剣道」の韓国語読み、といった方が適切です。なぜなら今日の「剣道」という言葉は、昔からKoreaにあったわけではなく、そう遠くない昔,日本から伝わり、その際Koreanは「Kendo」と同じ漢字をKorea式に発音したからです。朝鮮ではこのときまで今日のような意味で「剣道」という言葉が使用されていませんでした。

2 Original
text
韓国における剣術は青銅器時代まで3000年以上さかのぼれる武道の伝統から発展した。

2 Fact 朝鮮半島に青銅器時代に武道があったとする信憑性のある証拠はありません。
日本にも弥生時代の遺跡から武具が見つかっていますが、戦いがあった証拠にはなっても、武道があった証拠とはみなされません(当たり前です)。これはどこの国の歴史学者でも同様に考えるでしょう。

3 Original
text
考古学的な記録は、満州(Manchuria)から朝鮮半島、そして日本本島における初期の植民地まで広がる領土を守るために、剣と剣術が韓国古代の日常生活の一部であったことを示している。

3 Fact 非常に曖昧な説明です。テキストにある領土は高句麗ですが、高句麗が日本の領土を占領した証拠はありませんし、高句麗からの人々が「剣の技法」を日本に伝えた証拠もありません。

もしあなたの知り合いが、同じようなことを言い出したなら、具体的な証拠、つまり文書や遺跡の名前を聞いておくことをおすすめします。そうすればご自身で確かめることができます。

私は「確かな証拠がある」とのe-Mailを受けとったことがありますが、やはり「確かな証拠」の名前は書いてありませんでした。

ましてや、この時代、剣道の技法の元である日本刀はまだ登場しておらず、現在の「剣道」の技法などできるはずもありません。

4 Original
text
およそ2000年前の三国時代初期、「本国剣法(Bon Gook Gum Bup)」すなわち「本国の剣」と呼ばれる固有の剣術が新羅(Shilla)の花郎(Hwa Rang)という武士によって開発された。

4 Fact この記述はやはり根拠がありません。独特な刀法である本国剣法が2000年前から発達してきたことを証明するものは何もありません。また、日本のと同じ形をした刀がこの時代にあった証拠もありません。

(上記)「オリジナルテキスト」を書いた人は「武芸図譜通志」はkoreaにおいて武芸が普及していた例としていますが、「武芸図譜通志」は当時の王により 1790年編纂されたKorea最初の武芸に関する本です。内容の多くは、日本と中国の武芸についての非常に簡単な記述です。これを武芸が18世紀に広 くいきわたっていた信頼性ある証拠とみなすことはとうていできません(1500年前ではなおさらです)。

さらに、Koreaにおいては兵は中国流に、片手に剣、片手に盾を持って戦っていました。日本の剣が片刃であるのに対して、Koreanの剣は両刃であったことにも注意すべきです。日本の剣術(後に「剣道」)の剣の操法は当然これに基づいています。両刃のKorean剣で発達した操法は、剣道の技法と違ったものとなります。

また、花郎は戦士ではありません。

日本では10世紀中ごろ(平安時代)反り(少し弓なりの剣)、しのぎ(盛り上がった隆線)という独創的な特徴を持った剣が作られ、主力兵器として戦場で使われていました*。これを証明するおびただしい文書があり、10世紀、ヤスツナやサネモリのような多くの刀工が現れ、これらの刀を製作しました。 日本刀は早くから中国にも輸出され、中国の有名な詩人、欧陽脩は11世紀に「日本刀歌」を創りました。

*AJKF(全剣連)の公式見解です。このページの上のほうのリンクから参照できます。


平安時代の刀


5 Original
text
(三国時代は高句麗(Koguryo)・百済(Paekche)・新羅がお互いに、あるいは中国の漢(Han)と東アジアの覇権を求めて闘争状態にあった争いの時代だと記録されている。) この時代や後に続く統一新羅、渤海(Palhae)、そして高麗(Koryo)王朝時代における武士は、帯刀していて、厳しい鍛錬と道徳的礼儀作法で日常生活を送っていたと知られている。 全ての武士にとって道徳的規範は厳しかったが、何よりも名誉を大事にする彼らにとって鍛錬はもっと厳しかった。

5 Fact この記述に根拠はありません。発想はまさに日本の武士道からでしょう。
三国時代というのは三国で覇を争った時代ですが、

「覇を争った時代」→「戦争があった」
→ 将軍・兵士がいた「はず」
→ 日本の武士に相当する、かつ似たような性格の階級があった「はず」(?)
→ 武士のような規範や文化があった「はず」(??)
→ 厳しい鍛錬と道徳的礼儀作法で日常生活を送っていた「はず」、何よりも名誉を大事にした「はず」(???)
→(中華思想*をプラス)
*この場合、文化はそもそも大陸からやってきた「はず」、島国の人間に独自の文化なんかできるわけがない!という偏見。
→ (結論)日本の武士の発祥は朝鮮半島だった「はず」 (日本人は絶句するのみ)

というプロセスにより、韓国系「コピー剣道」団体の奇妙な説が形成されます。これを”Must Be"理論と名づけたいと思います。
戦いがあれば、指揮官と兵士はいたでしょうが、これが日本の武士のような生活習慣や文化をもっていたかは全く別問題です。
これは古今東西の戦士は全て武士と呼べるのか?と考えれば容易にわかることです。

つまり何の証拠もなく、連想ゲームに近い発想のみで「厳しい鍛錬と道徳的礼儀作法で日常生活を送っていたと知られている」と書くわけです。これはこのサイトだけでなく、韓国の大手マスコミ、公的団体にいたるまでそうです。最初信じられませんでしたが、これは本当の話です。
そしてこうした奇妙かつ本当の先祖の姿をないがしろにした認識は、韓国人また韓国系の人々の中にもひろがっているようです。
こうして朝鮮半島を舞台としているのに、なぜか「日本刀」を持った「武士もどき」の登場する奇妙な映画が作られる、というわけです。

・映画「 The Myth
http://www.choiminsoo.jp/Movie/TheMyth/newspaper.htm (cache(Japanese))
リンク先のインタビューの中で、韓国人の俳優が、用意されていた小道具が「日本刀」だったので、「韓国武士」?の使用する「韓国刀」?を用意させた、などと言っています。
韓国武士、韓国刀って何のことをいっているのでしょうか?
映画「MUSA(武士)(2001年・韓国)


映画「清風明月(2003年・韓国) 忍者まで出てくるそうです...


6 Original
text
武士文化の多くの好例が7世紀から15世紀までの渤海および高麗王朝の時代に見られる。 特に渤海王朝は、西暦668年の高句麗滅亡後、以前の高句麗武士階級によって建国され統治された。 剣術と鍛錬した武士の精神によって、渤海はその国力の頂点であった9世紀前半、北満州の松花江(Sungari)および黒龍江(Amur)からはるばる現代の北朝鮮までを征服し、自らの領土を拡張することに成功した。

6 Fact 「武士文化の多くの好例」とは何のことを言っているのでしょう?やはり具体的な証拠の記述はありません。さらに言えば、高句麗はKoreanでなくツングース系の民族により建国された国です。

なお、武士文化とは政治勢力として武士が台頭し、それが天皇と貴族を中心とした勢力と対抗したり、共存したりを繰り返しながら独自の政治的秩序をもたらし、その中で貴族とは異なる規範、生活習慣、文化を形成していったのです。これは平安時代から江戸時代までの長きにわたって行なわれてきました。
これらは天皇、朝廷といった対抗勢力の存在や、地方に独自の勢力が成立しやすかった日本の地理的条件を抜きにしては語れません。

単に「戦争があったから」武士文化があった「はず」というのはかなり無茶な考え方です。

日本では、縄文時代の人骨に槍の痕が、弥生時代にはベスト状の鎧が見つかっています。それならこの時代から日本には武士文化があった「はず」なのでしょうか?

いったい高句麗はどのようなプロセスを経てその「武士文化」(?)なるものを形成してきたというのでしょうか?

しかも別の民族だし...

7 Original
text
統一新羅と渤海が滅亡したおよそ500年後、高麗王朝滅亡に続く15世紀の朝鮮王朝の初期、政治的およびイデオロギー的土台が劇的に変わった。 これらの変化は兵卒の武士階級とその支持母体の消失をもたらした。 こうして剣術は、学者よりも劣っていると見なされていた国軍に徐々に限定されていった。

7 Fact 朝鮮王朝は中国の属国でした−これがKoreanが剣で戦う技術や、武力を必要としなかった理由です。Koreanは両班の貴族の政府しかありませんでしたが、日本では長いこと武士の政府でした。剣で戦う技術は武家政治の時代に発達しました。

仮に両刃の韓国剣の技術があったとしても、この時代失伝してしまったようです。文化に関してはいったん失伝してしまったら、回復は困難です。


古いKOREAの旗。「清の属国」という意味の文字が上のほうにある。


8 Original
text
朝鮮王朝末まで剣術は、この武道を「撃剣(Ghihuck-Gum)」の名で洗練させて発展させた国軍で、主に個人的に修練され、教えられていた。

8 Fact 撃剣という名前がKoreaでいつから使われていたか、証拠とともに書くべきです。撃剣は剣道の古い名前です。この名前は江戸時代から用いられています。兵法、剣術、剣法、刀法、剣技、剣道も用いられています。江戸時代は「剣術」が最も使われていました(江戸期以前、鎌倉時代から室町時代までは「太刀打ち」と呼ばれた。)。

9 Original
text
近代化の時代である1896年、「撃剣」という名で知られていた剣術は、新たに設立された警察学校の必須訓練に選ばれた。 のちに、スポーツあるいは人格形成や精神鍛錬の手段として修練されるように、「剣術(the art of the sword)」と道教(Taoist philosophy)に由来する「正道(the way of righteousness)」との近代的混合物である剣道(Kumdo)が開発された。

9 Fact 撃剣は剣道の古い名前です。これは17世紀の江戸時代から使われていました。
1895年、日清戦争は日本の勝利に終わり、清はkoreaの独立を認めました(下関 条約第一条)。その条約の前から、Koreaの首相は日本の指導と援助のもと、近代化を進めたいと考えていました。そのころ剣道(当時広く撃剣と呼ばれていた)は、Koreaの警察の訓練のプログラムとするよう紹介され、一般人にも広まりました。

(2005/07/18 追記)
当時の紀行作家イザベラ・バードは有名な「朝鮮紀行」にて次のように書いています。
「1895年1月、ソウルは奇妙な状態にあった。「旧秩序」が変わりつつあるのに、新しい秩序は生まれていなかった。..(中略)...内閣の各省に日本人の顧問官がおり、軍隊は日本人教官に訓練され、警官隊が組織されて不似合いな日本の制服を着せられた。」


Koreaの中国(清)からの独立を祝って1898年、独立門が建てられました。
この門の前のポールはなんでしょう?
これを調べればこの国を深く知ることができるでしょう。

10 Original
text
20世紀初期、剣道の訓練は日本人によって開発された竹で作られた修練用武器と軽量の甲冑を採用して利用した。 この修練方法は以前の危険な修練方法に大きく取って代わった。 しかし、修練用甲冑が最新の材料で大量生産される1960年代初期まで剣道の人気は限られていた。 剣道装備が簡単に入手可能になり、剣道の人気は急成長し始めた。剣道はもはや選ばれた少数の人々の武道ではなくなった。

10 Fact 防具は16世紀後半に開発されました。このころ、日本ではさまざまな流派ができ、17世紀後半「面」が菱川師宣によって本の絵として描かれました。



11 Original
text
剣道を修練する目的は:
精神と身体を形成すること。
活力ある精神を養うこと。
そして正しく厳格な修練を通して、
剣道の進歩に励むこと。
礼儀と名誉を尊重すること。
他人を誠実に扱うこと。
そして永遠に自己の養成を追及すること。

こうして人は:
最高の形での正しい愛国者になれる。
自分の両親を尊敬できる。
友人に対して信用し、尊敬し、忠実になれる。
挑戦を認めて決して後退しないことができる。
そして、全ての生命と生物を尊重することができる。

11 Fact
http://www.kendo.or.jp/kendo/concept/


明らかにここ(URL)にあるものの変形に過ぎない。

このような歴史の歪曲が(意図的なものであろうとなかろうと)Koreanの社会で広がるのは残念なことです。Koreaの多くの「コピー剣道」団体は、根拠もなしに公的に剣道の発祥地であると主張しています。

ある団体は公的なオリンピックスポーツにしようとし、別の団体は間違った思い込みのもと、確立した試合の手順を改竄しようとしています。私はkoreanは剣道をやめるべきと言っているのではない。怪しげな起源を捏造したり、「国民的なPride」のために Koreanの独自の文化だと主張するのをやめるべきだと言っているのです。

Koreanは主に民族偏重の教育と商業政策のため、世界で最もナショナリスティックな人々のうちのひとつです。ナショナリスティックであることと、愛国的であることには重大な違いがあります。もし世界で尊敬される人々になりたいのなら、他の多くの国の人々と同様に他の国の文化を尊重しなければならないでしょう。さらに、日本の剣道団体の義務についても言わなければなりません。彼らは剣道が侵略を受けている現実をよく認識し、これらの恥知らずな文化剽窃を防ぐ責任があることをもっと考えるべきです。

韓国人ないしは韓国系の方は、KUMDO団体の主張を信じない方でも、上記で指摘したいくつかの歴史的事実を不快を感じられる方が多いと思います(実際そのような趣旨のメールをいただいてます)。私も本当はこういう書き方はしたくないのですが、KUMDO問題や文化侵略問題を論じるには、どうしても韓国の成り立ち、特に文化的背景に触れざるを得ず、するとどうしても「中華思想」「属国」の二つに触れないわけにはいかないのです。

もし日本に対しての文化侵略をやめるのであれば、韓国人朝鮮人を不快にするような言葉で、侵略の動機を説明する必要もなくなるわけですが、実際文化侵略をやめる機運など感じられないために、その原因を説明せざるを得まないのです。文化侵略に加担をしていらっしゃらない朝鮮・韓国人の方には申し訳ありませんが、なにとぞご理解くださるようお願いします。

 隣に中国という、強大かつ独特の中華思想を持った国があった以上、自らの生存を確保するためにそれに従ったには、誰しもやむを得ないと認めるでしょう。しかし、さしたる根拠もなく自らの歴史を毀損し、隣国の文化を侵略する行いはただ不名誉で恥知らずなだけです。弁解の余地はほとんどありません。そして何よりKoreanの子孫にも泥を塗る行為ではないでしょうか?


Creator : bxninjin2004@yahoo.co.jp      

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